仕事の段取りつけて4月8日(金)の1日だけ、ボランティアに行ってきた。
宮城県災害ボランティアセンターのページからたどって、ボランティア作業マニュアルの格好を見て足りないゴーグルとかゴム手袋とかを買い出しして準備した。
夜行バスで行ける仙台近辺にして、尚かつ県外ボランティアを受付けている自治体を探し、その中で自力で行ける所。
多賀城市に行くことにした。
夜行バスは昔、東京名古屋間の行き来に使っていたが、その窮屈さは耐え難く、同じ夜行なら東海道線の方が自由に歩き回れるからと、夜行バスは以来使ったことがなかった。
実に30年ぶりに近い。
直行夜行バスの予約http://travel.willer.co.jp/をポチッとした。
それまで、ホントに行くの?行けるの?行っても何もできんかもしれんよ?行っただけで一人で見物するだけに終わるんじゃないの?行くだけ無駄じゃないの?行く交通費を募金したら?
等々、ネガティブ思考が渦巻いてたのが予約したことで腹が据わった。
後で判ったけど、直行バスがあるのはこの週だけで、翌週からは東京でバスの乗り継ぎをしないと行けないんだってさ
名鉄バスが仙台直行便あるし、Willerのバスも直行便が復活してたりしてよく判らない。 スミマセン、グーグル先生に聞いてみて下さい。 |
早めの晩メシと軽くシャワー浴びて身支度して名古屋駅へ向かう。乗り場を探してウロウロ・・・
なんとか赤いエプロンの係りのおねいちゃんを見つけて 21:30出発
バスの通路側の席は足が通路に出せるけど窓際は動かせない! やっぱせまっ
牧ノ原SAで休憩後、ツイッターを覗くとなんかみんな騒いでる。おっきな余震があったらしい。
次の海老名SAで休憩して出発するとき、運転手さんが、「先ほどの余震で東北道が通行止めになっているそうです。どこまで行けるか判りませんが、行けるところまで行って、その後は下道に降りて一般道を行きます。よって何時に到着できるか判りませんがご了承下さい」
こりゃしょーがないね(^^;
那須高原SAでペットボトルで水が売ってたので購入
2本買って1本は仙台の知人へ手土産。1本は自分の飲料にした
バスは高速道を降ろされることなく、仙台までほぼ時間通りに到着。通行止めは順次解除になったらしい。
ところが、
仙台駅前の信号機が消えてる。停電だと。
そしてコンビニが軒並み開いてない。那須高原SAで水だけじゃなくて食料も買い込むんだった><
ウロウロすること15分ほど。お弁当屋さんが店頭でおにぎりを販売しているの発見。ごめんなさい、仙台の人の分のおにぎりを1人分買い取って。。。 (ボランティア失格だわ)
イヤホンラジオを聞いてみる。昨夜の地震で停電は広範囲に広がってるらしい。JRも止まってる。ってことは多賀城からの帰りの足がないのか?
仙台駅から多賀城市までの行きは、仙台在住の友人が送ってくれるとゆってるので甘えることにしていた。昨夜の地震のせいで携帯の電話が通じにくいってのを初めて体験したかも。なんとか連絡とって、名古屋駅で買った手土産の赤福餅を渡す。これはご家族に好評だったらしい。
多賀城に行く前に少し回り道して被災地を見せてくれることに。
既に3週間が過ぎ1ヶ月近いので、そこそこにガレキの撤去も進んでいたが、それでも悲惨な状況、有り得ないガレキの量、西部劇でいう「ゴーストタウン」のような砂埃に、言葉を失う。
3月11日の”その時”の様子がどうだったとか、友達で実際に津波を体験した逸話などを聞きつつボランティアセンター(以下、VCという)まで連れてってもらった。ありがとう!
webページに、ボランティアの心構えとか、望ましい服装・装備が書いてあったのでそれを参照して準備はしてきたつもりだが、実はこういったボランティアは初めてなので、戸惑ってばかり。
見ると、受付口みたいなところがあって、数人が並んでいる。自分もそこに並ぶ。でもよく見ると、「継続:県外」「継続:県内」「新規:県外」「新規:県内」と列が分かれているらしい。 「新規:県外」の3人ほどの列に並び直す。15人ほど並んでいる人の大部分は「継続:県外」だった。
また、長靴やゴム手袋は建物の1階玄関口周辺に並べて用意してあった。長靴持ってこなくてもよいなら楽だったのになー(でもそれは多賀城だけなのかもしれないね)
ガムテープに名前をマジックで書いて服に貼る。
それから2階へ上がる。公民館の会議室って感じの部屋へ。
そこで旅の服装から実際に仕事する服装に着替える。部屋の後ろの方に折りたたみイスが横に10個ちょい?×3列 並んでいる。準備ができた人から後ろから座って作業割り当てを待機。
ボランティアを運営する人が、依頼者からのニーズを書いた紙を持って、「ここからここまで5人、お願いします」とか「男4人、女2人お願いします」(女性は1割も居ない)とか前から声かけして仕事を割り当てていく。前の人が呼ばれて席が空くと、順番に後ろから詰めていく。
自分は、「4軒同じ所にあって、そこにまとめて14人お願いします」と呼ばれた。
住宅地図や作業内容を書いた紙と、依頼者から最後には確認を貰うことなど、注意事項や説明を受け、VC(ボランティアセンター)の用意したスコップなどの道具をチェックし、VCの用意した2台の車に分乗して現場に向かう。
運転手の人が昨夜の地震でまた停電になってしまったとか、皆さんどこから来てるのですかと現場に着くまで会話しながら車は被災地を進行。
長屋風の住宅地に到着(10:15頃)。14人が3人~4人に分散して4軒にあたるのかと思いきや、14人でいっぺんに一軒にとりかかることに。
家ン中は家具が散乱してぐちゃぐちゃの泥だらけ。家の人にアルバム写真とか「これは処分していいのかとっておくのか」確認しつつ作業する。でも基本的に必要なものは既に確保してる感じだった。
食器も服も棚も人形もほとんどが破棄。。
水を吸ったタタミはむちゃくちゃに重たい
汗が噴き出る。1時間があっという間。ほぼ目処が付いた頃に休憩し、次ぎに向かう。
次の家に着手した頃に、もうお昼が近いのか、どこかのボランティアさんが炊き出しにここの近所に来てるらしい。地域の人が僕らボランティアにもトン汁を一緒に食っていけと勧めてくれた。
どうやら外人さんのチームが炊き出ししているらしい。2軒目に着手したところだったけど、先にちょっと早い昼休憩にすることに。ありがたくトン汁を頂き、ボランティアは各自が持参した昼飯を喰らう。
隣でパンをかじってた若い衆は驚いたことに同じバスで名古屋から来た人らしい。なんと座席も前後だったことが判明w 彼はまたゴールデンウィークの頃にボランティアに来る為に、調査を兼ねてまず一度来てみようってことだそうな。
そんなこんなで、午後のミッションが進む。
現場周囲にもいろんな爪痕がある。
2時半頃にほぼ予定のミッションが終了し、スコップなどの道具を点検し帰りの車を呼ぶ。
もし作業が終わらなかったら明日以降に引き続き作業を頼みたいのか依頼者の意向を確認して、ボランティアセンターに報告。
長靴とか水で洗って解散。疲れたけど心地よい疲労感。
自分も絶対に一度は来る!という気持ちがとりあえず満足できて安堵。
でもまだこーゆうボランティアは数多く必要とされるんだろうな。都合がつけばまた来ようと思って多賀城を後にした。
<余談1>
帰りも朝に送ってくれた仙台在住の友人が多賀城から仙台まで送ってくれると。こんな好待遇のボランティアなんかいないだろーと思いつつ、(^人^)感謝♪ 汗くさいんでシャワー浴びれるとこないかと聞いたら、銭湯に連れてってくれた。 スマン、更に感謝!
</余談1>
<余談2>
仙台で帰りのバスを待つのだが、地震や停電の影響なのか、開いてる店が少ない。仙台駅でトイレを探したのだが、駅構内は天井が地震で崩れて?通行止めになってたりで公衆トイレが見つからない!
やむなく20時の閉店間際のケンタ君に入ってウーロン茶だけ買ってトイレを借りた。
</余談2>
<余談3>
来るときのバスは「スタンダードシート」で普通の座席らしい。
ところが帰りのバスは「リラックスシート」になっている。座ってみてビックリ! シートが包み込むようにくつろげる! 座席間隔もちょっと広め。リクライニングも深い。足置きもあるし、頭部にはシェードもかぶせれるし、毛布も1枚置いてある。だから運賃が来るときは5400円に対して帰りは7500円なのだな。これは納得。来るときのバスはきつかったけど、帰りのこのバスならまた乗ってもいいなあと感じた♪
</余談3>
すっごい行動力!!
自分じゃ行ってもジャマなだけだろなぁ〜
ガッチャおひさ! 見てくれてありがとー!!
すごくないって!
行動力って言うよりも、仕事なくてヒマだっただけだよ┐(´∇`)┌
家財道具の搬出とか泥掃除とかの力仕事だから、それを男も女も同じようにやるのは無理があるってばさ。
女性のボランティアさんは1割もいなかったから女性ならではの仕事があると思うよ。
でも現地に行く交通手段があるかどうかがまず最初のハードルだね。